活動履歴

活動履歴

1851年京畿道驪州にて、閔致禄(ミン・チロク)の一人娘として誕生。皇后は幼い頃から、父閔致禄から学問を学んだ。「小学」「孝経」「女訓」などを好んで読み、特に歴史が好きで政治や国の典礼故事に関心が高かった。1858年、9歳の時、父が他界すると驪州から漢陽・安国洞の感古堂に移って、母親のもとで育った。1863年、哲宗が他界すると、趙大妃の命により、興宣大院君の次男李命福(イ・ミョンボク)が国王に推戴され、3年後の1966年、興宣大院君の夫人閔氏の働きによって16歳で王妃に選ばれ、高宗の王妃となった。

活動の経過

① 第1次訪問 2005年5月  11名参加 「明成皇后を考える会」発足の翌年5月、「閔妃殺害事件」に加わった国友重章の孫で医師の河野龍巳さん、家入嘉吉の孫の妻家人恵子さんを含む11名が明成皇后の史跡…

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明成皇后を考える会

① 2001年10月、「地域からの日韓交流シンポジウム」が開催され、「閔妃殺害事件と熊本」と題して元熊本学園大学教授朴宗根(パク・ジュングン)さんの問題提起がありました。この殺害事件に関係した民…

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明成皇后を考える会

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